你懂日语,能不能大致介绍一下这篇文写的是啥?谢谢啦!
中国“失脚大物”薄煕来氏を独占インタビュー!初めて明かされる真実2012.05.11
.
.
中国共産党の次期最高指導部入りが確実視されながら、3月に失脚した薄煕来(ハクキライ)前重慶市党書記に、国会新聞社の宇田川敬介次長が先月末、北京で、日本人ジャーナリストとして初めて接触に成功した。宇田川氏は以前、総合スーパー「マ
イカル」に勤務し、中国進出時の法務交渉担当を務めており、薄氏とは大連市長時代から深い交流があった。中国の情報機関「国家安全部」の監視のもと、軟禁状態にある薄氏と3時間にわたって会食し、一連のスキャンダルなどについて聞き出したとい
う。
「薄氏は少しやつれていたが、穏やかな表情だった。共産党内の権力闘争や、自らのスキャンダルの多くを否定していた。会食したのが、民主党の小沢一郎元代表に無罪判決が出た当日(4月26日)だったので、『私は(小沢氏のように)復活する』
と語っていた」
宇田川氏はこう語る。会食は天安門広場近くにある高級ホテル「北京飯店」で行われた。
薄煕来解任事件は、薄氏の妻、谷開来(コンカイライ)容疑者に英国人殺害容疑がかかっているほか、共産党内部の権力闘争説やクーデター説が流れたり、不正蓄財の疑いで親族が調査を受けるなど、大規模なスキャンダルに発展している。
宇田川氏は、薄氏と1997年、マイカル大連店の出店準備時に知り合った。薄氏は当時、大連市長。同年末、マイカルと弁護士である妻の谷容疑者と顧問契約したこともあり、家族ぐるみの付き合いをしてきた。
2000年ごろ、薄氏と谷容疑者に離婚問題が浮上した。宇田川氏は外国人仲介人として離婚調停に関わった(調停成立も、離婚はせず)。
国家安全部側は今年3月、薄氏の家族関係について確かめるため、宇田川氏に捜査協力を求めてきた。この協力の見返りとして「写真と録音はNG」という条件で、宇田川氏は薄氏との会食を許可されたという。
北京飯店3階の個室では、宇田川氏と薄氏、通訳2人(うち1人は国家安全部の人間)がテーブルを囲み、鳥の塩がま焼きやフカヒレの姿煮、北京ダック、鮑のステーキなどを堪能した。外では制服警官2人が警備していた。
宇田川氏は「最初は昔話で盛り上がり、途中から、薄氏は谷容疑者の悪口を言い始めた。調停は成立して10年以上も別居していたが、『子供の問題や出世の妨げになる』として離婚はしていなかった。薄氏は、妻の殺人を否定せず、『離婚しておけば
よかった…』と後悔していた」と語る。
日本では、薄氏失脚に絡み、さまざまな報道・情報が飛び交っている。宇田川氏は当然、真偽を問いただした。薄氏はこう語ったという。
「共産党内部の権力闘争ではない。私は重慶市党書記として、マフィア組織(黒社会)の取り締まりを徹底的にやった。マフィアと癒着している市幹部も排除した。これが恨まれた。別居している妻の事件が起きたタイミングで、彼らの残存勢力にハメ
られたのだ」
宇田川氏は北京滞在中、別の中国共産党幹部にも面会し、薄氏の事件について説明を求めた。
幹部は「もし、野田佳彦首相の妻が英国人を殺し、側近が米国大使館に逃げ込んだら、野田首相は現在のポストにとどまれますか? 権力闘争…という記事は信用に値しない」と語ったという。
薄氏との会食終盤、ホテルのフロントに頼んでいた小沢氏の判決結果がメモで入った。薄氏は小沢氏のことをあまり知らなかったが、置かれた立場からシンパシーを感じたようで、「日本では復活できるんだな…」と満足そうな表情を見せたという。そ
して、会食が終わると、「アイ・シャル・リターン」といい、部屋を出ていったという。
■薄煕来(はく・きらい) 1949年、山西省定襄県出身。父は革命歴戦の将で、副総理まで務めた薄一波氏。80年に中国共産党入党。大連市長や遼寧省長、商務部長(商務相)などを経て、2007年に中央政治局員となり重慶市党委書記に就任する。大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発した。大連市長時代から、日本企業の誘致などで手腕を発揮し、日本の政財界とは深い関係を持つ
。12年3月、重慶市党委書記を解任される。